5月3日は、憲法記念日。今日からゴールデンウイークの後半に入る。4月の後半から30度を記録する真夏日を経験し一挙に夏を迎えた感がある。今日は、これからの連休に水を差すように雨が降っている。気候の急激な変化に、心も体もなかなか大変である。
雨音を聴きながら憲法記念日の朝刊を見てみると、「加計学園」の獣医学部新設を巡り、「柳瀬氏、面会認める方向」という見出しが目に入ってきた。首相秘書官が首相官邸での訪問者の記録を取っていないでは仕事は務まらない。その記録を無視して記憶にないと平然と釈明し、今度は認める方向という。事実が、事実とは関係なく政治的な動きの中で、それも国会の場で、本人の記録とは無関係に変えられていく。昔から大学の新設や増設には地元の有力議員を動員しての陳情合戦が行われてきた。事後の都合で事実を改ざんしてはならない。子どもに「嘘をついてはいけない。嘘は泥棒の始まりだよ。」と言えなくなる。事実を事実として確認し積み上げていくことから正しい判断は生まれてくる。
日本国憲法は、主権が国民にあることを宣言し、国政が国民の信託によるものであると定めている。この国民の代表が集まり国政の在り方を考えていく場が国会であり、ここでの総意により国政を具体的に信託された機関が内閣となる。国の膨大な予算は、内閣に連なる行政機関により執行されていく。予算規模が大きくなるほど判断者の権限は大きくなり、これに群がる利害も拡大する。国民に信託されたはずの内閣が、実質的な立場を逆転させ、国会を私物化し事実を隠蔽、法律の内容はほとんど議論されず一括上程される。国民には、成立した後でその内容を知らされる。法律は、国会を通過したことで国民の信任を得られたものとして施行され、国民の生活を変えていく。
明治憲法下では、国民は「臣民」とされ、国のために多くの人々が命を落としていった歴史がある。憲法改正も具体的な動きとなってきているが、民主主義の原則である国と国民との関係性を明確にしている憲法前文は重要である。国が国民の上にあった明治憲法を復活させることがあってはならない。憲法制定当時と合わなくなっている事実に基づく改正は必要であるが、事実を隠蔽・改ざんされた中での改正があってはならない。
世の中が急激に動き始めている。冷え切って一触即発のように見えていた北朝鮮も一変し平和外交に転じ、大国を巻き込んだ新たな世界秩序への動きを加速し始めた。情報は瞬時に世界を駆け巡る時代となったが、事実と情報は異なる。情報には発信者の意図が働く。事実を加工することで記事となり、情報媒体に乗せることができる。事実を見る視点の違いで情報は大きく変化する。自らが体験していない事実を正確に知ろうとするためには、いくつもの情報を整理統合する判断が必要となる。
異常気象から国内・国際情勢、目まぐるしく変わっていく。憲法記念日に、民主主義の原則を守っていく国民としての大変さを改めて思う。