千葉県東方沖で地震が頻発している。2月29日・3月1日と震度4が続いている。関東首都圏の地震が心配になる。能登半島地震から1日で2ヶ月。その後も余震は続いている。2ヶ月を経過した被害の様子を1日の特集記事は伝えている。家屋倒壊、隆起、火災、液状化、断水。地震は、生活する日常を一瞬にして奪ってしまう。

 地震から「生活の場と命をどう守るか」は、日本列島に住み続けてきた先人から続く課題である。大地震の痕跡は日本列島の至る所に見ることができる。関東大震災は、1923年(大正12年)で100年。東日本大震災・原発事故は、2011年(平成23年)。新関東大震災が起きた場合を想定したシミュレーションも多くなされている。人間社会が作り上げてきた建造物は無残にも崩れ落ち、多くの命が失われることとなる。

 人口が密集する都市社会は、過去の災害の記憶を無視し、交通の要所に平常時の利便性を優先するまちづくりを続けてきている。それが災害時の被害を大きくしている。災害の記録が残る河川敷を、宅地に造成し住宅や工場を建設する。国の標準的な基準を一律に適用し建設を許可する矛盾が災害の中で露呈する。

 発生時の緊急救援活動は大切であるが、発生した場合を想定した減災対策は、今に生きる私たち一人一人の判断の積み重ねで大きく変えていくことができる。福島民友に「いま、奥会津から」というの連載記事を赤坂憲雄氏が投稿し、2月27日で20回を数える。このタイトルが「時の試練に学び直したい」、この中で、寺田寅彦の「天災と日本人」を紹介している。赤坂氏は、「寺田『時の試練』という言葉は、記憶されるべき知恵の結晶だと思う。それこそが、昔の人たちが守ろうとした経験知の核にあったものだ。」関東大震災の被災地を見て歩いた寺田寅彦の実感から発せられた「時の試練」、明治以前には、とりわけ危険が予想される場所には、集落が創られることは稀であったという。100年前の教訓がその後の社会に生かされてきたのかは「時の試練」の中で検証されてしまう。東日本大震災・原発事故では、日本社会が「時の試練」に耐えきれないことを実証している。

 人間は、自然を支配しているという奢りを捨て、自然の中で生かされている一種族にすぎないとの視点に立ち帰るとき、自然と人間の共生していくための社会づくりが「時の試練」に耐えられる人間社会を作っていくことになる。