2016年の新年を迎えた。

今年はどんな年になるのか、震災から5年を過ぎて、原発も再稼動の動きが活発化している。再生エネルギーは太陽光発電しかないと言わんばかりに、いたるところに太陽光パネルが目に付く。休耕地を覆い尽くすようにパネルが並ぶ。除染、東電の賠償金も今年でほぼ終了する。

除染で集められた土嚢袋は、借り置き場に山積みになっている。地域内で考えれば、一カ所に集めただけで、除染と言えるのかと言う声も。中間貯蔵施設の設置が第一原発周辺に本格化しつつある。復興道路?の建設は急ピッチで進む。膨大な土砂を一カ所に集め、どう処理して減量化し、貯蔵していくのか。仮置き場の土嚢袋が、場所を変えただけになってしまわないのか。爆発した原子炉の廃炉への道程が見えない。しかし、目に触れないとないものとなっていく。隔離することで直接的な被害は避けられるが、基本的な問題解決にはならない。

5年という時間の重み、多くの記憶を過去のものとして清算し、すべては、新たな生活を歩み始めている。生きていくためには、状況を受け入れ、環境として適応して行くしかない。今を生きる子どもたちにとって、震災の前と後の区別は過去のできごと、今の生活を前提に全ては組み立てられている。福島に戻ることも、親の都合による転勤と同じで、当時1年生は6年生、自分の世界を持ち始めた子どもたちには、新天地での再出発を意味する。

年老いた世代では、急激な環境変化に追いついていけない老人も多い。過去の生活を懐かしみ望郷に念を抱きながら、健康を害していく。介護保険の適用者が増加する。国民年金だけでは生活できない高齢者世帯。高齢者問題が急速に進んでいる。東電の賠償の終了とともに表面化してくる。

新たな年の始まりは、過去を踏まえた未来への結節点。5年間という時間は、過去を客観的に見直すに充分な長さをもつ。過去をどう考え清算し、乗り越えていくか。未来に繋がる選択を間違わないために考え、行動する一年でありたい。