戦後70年。中国では、9月3日「抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念行事がかなりの規模で行われたようである。日本では、8月15日、天皇陛下のラジオ放送が行われた日を終戦記念日としている。しかし、世界的には、アメリカの戦艦ミズーリの艦上でポツダム宣言を受託し調印した9月2日が、連合国の国々での戦勝記念日とされていることが多く、中国の記念式典もこの流れの中にある。抗日そして反ファシズム、戦前の亡霊が出てきそうなスローガンに聞こえる。
日中韓は隣国同士で歴史的な付き合いも古い。人的な交流も多く、戦争による悲劇は数限りなく存在する。旧満州国、今は黒龍江省、日本軍が傀儡政権としての満州国を建国し、日本からの大量の移民団を送り満州鉄道を中心に満州開拓を進めた歴史。それが、今の黒龍江省の産業化の基礎を作ったともいわれる。しかし、そこには、戦場となった大地に生きてきた中国人、新天地を夢見た開拓移民の日本人、おびただしい屍の悲劇が今も眠っている。戦争においては、すべての人間が被害者であり加害者となる。
軍事パレードでは、最先端の兵器が並ぶ。ミサイルに戦車、戦闘機、それが実際に使用されたときはどうなるのか。ミサイルが一発でビルも一瞬にして崩壊してしまうに違いない。戦争にあるのは、想像を絶する大量の破壊、装備の近代化、それは高性能破壊兵器の現地配備が進んでいることを意味する。軍拡競争は、破滅への大行進。
日中韓、人と人の交流も多く、これらの人々が、隣国同士として力を合わせることからアジア地域の平和と安全は守られる。国といっても人の集まり、平和に暮らしたいと願う同じ一人の人間同士、それがなぜ、国という鎧を身に着けると人格が一変してしまうのか。戦争の痛みを思い共有することから戦後70年の平和への歩みは続いてきた。そして、それは今後も続いていくと信じたい。