最近は、三日連休が続く月が多くなっているように思う。先月はシルバーウイークとか。年のせいか、シルバーという言葉に反応するようになってきた。自分はまだシルバーではないと打ち消しながら。
シルバーウイークに南三陸を訪れた。東日本大震災の津波で町役場も飲み込まれ、壊滅的な被害を受けた町である。それから6年目を迎え、まちの姿は大きく変わっている。それ以前のまちの姿を知らない私にとって比較することもできないが、「津波の悲劇を忘れないために」と、ホテルが毎日バスで被災地を案内するサービスを行っている。鉄骨だけが残る防災センターだったという建物、小高い場所にあった小学校跡、こんな高台にあっても駄目だった…?
被害に合い命を落とした人の多くは、津波がここまでは来ないと思っていた地域の人たちだという。毎日、海を見て、津波の恐ろしさを教えられてきた海辺の人たちは、海の異常をいち早く感じ取り、高台の安全な場所へ避難し助かっていた。チリ地震の教訓から避難訓練を繰り返してきたことが人的被害を少なくし、このチリ地震では被害のなかった地区の人たちが多く犠牲になっている。
まちは、高台の場所の大型造成地に集団移転が進められている。巨大な復興予算がつぎ込まれている。造成地からの残土の山が、昔の街並みがあったと思われる場所に堤防のように山積みとなり積み上げられている。海との関わりの中で生きてきた人たちの姿がそこには感じられない。
災害からの復興は、災害を忘れ去ることではなく、災害の教訓を正しく語り継ぎ、それに備える訓練を常に行っていくことから始まることを改めて考えさせられる。巨大土木工事は誰のために?復興はどこを目指しているのか。福島の姿に重なる。