4月に入ると桜前線の話題が日本列島を北上してくる。福島県内も開花予想が始まる。福島県は広いので、4月上旬から末まで見ることができる。いわきから始まり浜通りを北上し、中通りの福島へ、中通りは北の福島から始まり南下して郡山へ、会津地方も会津若松から周辺の山間地へと続いていく。一部は5月に入る所も、この頃には、桜前線は北海道まで行っている。改めて、福島県の広さと、気候の違いを感じさせる。

4月1日には、原発事故後7年目を迎え、予定されていた富岡、浪江、川俣、飯館の4町村の避難指示が解除された。これとともに、原発事故後が一大転機を向かえた。仮設住宅の撤去、自主避難者への支援の打ち切りなどが具体化してきた。原発再稼働差し止め訴訟も地裁での勝訴が高裁では逆転敗訴で再稼働が加速しつつある。東電も役員の交代のニュースが流れ、再稼働へ意欲的に見える。いまだに福島第2原発廃炉への明言はない。時期が来れば再稼働の対象となることへの含みを残しているとしか思えない。政治的判断に従うとも言っている。

避難指示とは何ですか。また、この4町村の位置をわかりますか。素朴な疑問に答えられる県民がどれだけいるだろうか。避難指示とは、2011年3月、原発事故を受け、政府が住民の健康被害を防ぐために、第1原発周辺の市町村に避難区域を設け立ち入りを制限したものである。避難区域を放射線量の高さに応じ、線量の高い順に「帰還困難区域」「居住困難区域」「避難指示解除準備区域」に分けられ、今回の避難指示の解除は「居住困難区域」と「避難指示解除準備区域」が対象となっている。「帰還困難区域」はそのまま残っている。

6年の歳月は、福島県内でも地域間での状況に対する温度差を大きくしている。「帰還困難区域」は、浜通りの中間地域の一部となり、事故処理は終わったとの雰囲気がオリンピックの話題とともに広がってきている。これを、福島県から遠く離れた県外の地で考えれば、この傾向はより強いと思わざるを得ない。原子力政策が招いた人災であったことへの記憶が薄れ、何もなかったかのように原子力政策が復活していくことへの不安が頭をよぎる。