親による児童虐待の記事が連日紙面を賑わせている。千葉県の小学4年生栗原心愛さん(10)が父親の虐待により死亡した。かなりの期間に渡り虐待は行われていたようである。本人の助けを求めるメッセージも活かされず悲惨な結末となった。なぜ救えなかったのか。
なぜ、父親は娘を執拗に虐待し続けたのか。なぜ、母親はそれを止められなかったのか。なぜ、学校は子どもの異変を見逃したのか。なぜ、児童相談所は子どもの訴えを活かすことができなかったのか。なぜ、周囲の人々が気づかなかったのか。なぜが一つでも消えていれば救われた命、それを救えなかった社会。そこには、現代社会に潜む闇を見る。
警視庁は、7日に2018年の犯罪情勢を公表した。これによると虐待を受けた疑いがあるとして児童相談所に通告された件数は8万人を超したという。その内容は、心理的虐待、身体的虐待、ネグレクト、性的虐待と言われている。今回の事件は、この虐待がすべて該当するものと思われる。
今回の事件で最も問題なのは、父親の異常性、母親への性的虐待を含むDV(ドメスティックバイオレンス)と娘への虐待、恐怖の中で喪失された家族関係。幸せであるはずの家族が父親の狂気により地獄と化している。この男の成長過程を知る由もないが、人の愛情を知ることもなく成長した孤独な人間は、他人に愛情を注ぐことができない。家族を作ることができない。そして、これを補完するはずのセーフティーネットも機能していない。
核家族が一般化して久しい。戦後の核家族の中で成長し、新たな核家族を形成する第3世代が中心となってきた。お爺さん、お婆さんを知らない子どもたち、学校と親しか知らない子どもたち、個人情報保護という美名のもとに分断化され孤立化する人々、相互不信は負のスパイラルを描く。事件に対する対処療法で済まさず、その裏に潜む社会的な病巣を見極め考えていかなければ幼い犠牲者を救うことはできない。住民一人一人が地域の当事者であることの自覚をもって、地域全体で子どもたちを守っていくための行動を起こしていかなければならない。