9月5日は、磐梯朝日国立公園が1950(昭和25)年、国内で17番目の国立公園として指定された記念日、70周年を迎えたと言うことである。吾妻山、安達太良山、子どものころから我が家の裏山のように毎日眺めている。何気なく当たり前に見てきた景色が、自然の景観の素晴らしさを代表する国立公園であることに改めて認識を新たにする。
若いころは、休みというと日帰りで吾妻山、安達太良山に登り適度の疲労感とその先にくり広がる壮大な自然のパロラマを楽しんでいた。疲れて一息ついて道の周囲に目をやると、ひっそりと控えめにそれでいて存在感のある高山植物が花をつけている。細やかな安らぎの一瞬、山の自然の仲間として受け入れてもらえたような気がした。そっと眺め、写真に収めてくるのが楽しみになっていた。安達太良山は、ロープウェイもあり中腹まで行けるので、今も毎年とは言えないが安達太良山には登っている。年とともに体力は低下していくので楽なコースを選択しながらも山の醍醐味を味わっている。
環境問題が世界規模で問題となっている。環境を破壊しているのもそれを守ろうとするのも同じ人間、何がそうさせているのか。被害者と加害者という相矛盾する立場を併せ持つ一人一人の人間。人は生きるための場を自然環境の中に持っている。自然の大地を耕し実りを得て生きてきた。山の頂上から眺める秋の下界は、実った稲穂で黄金色に染まる。自然と人間の共同作業の成果である。登山道には、ゴミが散乱するようなこともなく、登山者のマナーも良くすがすがし気分で楽しめる。環境を良くしようとする一人一人の意識が山の環境を守っている。
人間は、自然の摂理に逆らわず、その恵みを享受しながら、それを持続可能な環境として維持することで生き続けてきた。その環境が維持できなくなってきている。生活環境に目をやれば、快適な生活を求めた結果、電気、ガス、水道、自動車、コンビニ・・・、生活の隅々になで当たり前に浸透しこの恩恵を享受する自分。電気の便利さの裏で起きた原発事故、便利なプラスチック製品による海洋汚染、自分の意識の範囲外で繋がる現代社会の矛盾、自然の景観を大切にそこで生きる人々と観光資源と考える人々、矛盾がつきまとう。 身近な国立公園の中にあって、自然の荘厳さとその中で生かされている自分、その地を生きる環境として大切に思うことから、それを維持しなければならないという思いは深まる。矛盾する難問を解決していく糸口は、身近な日常の中にあるのかもしれない。