9月1日は防災の日、関東大震災の起きた日の教訓を忘れないために定められた。全国各地で防災訓練等が行われた。災害はいつ起こるかわからないと言いながらも、その起こる可能性を否定することはできない。しかし、災害の悲劇と教訓は、人々の記憶から時間の経過とともに風化していくこともまた否定できない。

8月30日、「東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、双葉町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示を解除した。原発事故から11年5ヶ月を経て、県内で唯一全町避難が続いていた町で居住が可能となり、全ての自冶体で住民が暮らせるようになった。(8.30福島民報)」まだ全町避難が続いていて、やっと復興拠点だけが住めるようになったということだ。9月2日、「東京電力が福島第1原発の溶け落ちた核燃料(デブリ)を取り出すため、原子炉建屋全体を巨大な水槽のような構造物で囲い建屋ごと水没させる「冠水工法」を検討している。(9.2福島民友)」まだまだデブリの取り出しまでの道のりは長い。多くの人の目からは、10年前の事故として記憶から薄れてきているが、事故処理の方法も定まらず、今に続いている。

8月31日、「政府が浜通りに整備する福島国際研究教育機構の立地選定で、県は30日、最有力候補となっていた浪江町のJR浪江駅西側(川添地区)を機構の本拠地に決め、政府に提案した。機構を拠点として浜通り地域全体で産業都市の形成を目指し、世界レベルの研究開発や社会実装、産業化、人材育成を進める。(8.31福島民報)」同機構は、浜通りに新産業を集積する国家プロジェクト「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」の司令塔となる。膨大な国家予算が長期的に投入されていく国家プロジェクトとなる。災害からの教訓を生かした未来を構想する拠点となっていくことを願っている。今目立って見えるのは、海岸線や山肌を埋め尽くすメガソーラー群、姿を変えた新たな電源供給拠点化、クリーンエネルギーといわれながら遊休地がソーラーパネルで覆われ、自然の環境破壊は進んでいる。

8月24日には、岸田首相がエネルギー政策の基本方針の転換を明らかにした。「来年以降には、既に新規制基準の審査に合格している原発7基を追加で再稼働させることを目指す。(8.25福島民報)」原発の新増設、次世代型原発の検討も進めながら、原子力依存を高めていく方針に変わったようである。

災害の記憶は、時間の経過の中で自分に都合良く解釈され変化していく。しかし、一瞬の災害は多くの命を奪い、多くの人々の心に大きな傷跡を残す。この事実を自分事として捉えながら、長期的な災害対策を続けていくことが求められる。