7月1日で能登半島地震の発生から半年を迎える。新聞紙面には被災地の現在を伝える記事が並ぶ。被災者の多くが避難所から仮設住宅、自冶体が民間の賃貸住宅を借り上げた「見なし仮設」に移り、本格的に生活再建を考える時期に入っていく。広い敷地を埋め尽くす仮設住宅の写真は、東日本大震災での仮設住宅の姿を彷彿とさせる。
大災害時の対応は、初動の3日間で被災者の生死の明暗を分けると言われている。この後には避難所生活が待っている。家や社会生活のインフラを失うと自分の家に住み続けられなくなり、地域の集会所・学校等が一時避難所となる。避難生活の長期化が避けられない中で、主要幹線道路の復旧、公共施設の復旧とともに仮設住宅の建設が開始される。福島でも1年以内には仮設住宅での生活への移行が完了していたと記憶している。
目の前にあった生命の危機は回避され、日常を取り戻していくこととなるが、この日常は災害前の日常とは全く異なるものとなる。人的被害、住宅被害が数字で発表されているが、この数字の背景には日常を一瞬にして消失した人々の姿がある。しかし、生き残った人間は、これからの人生の中で、それを背負って生きていかなければならない。この中で背負うこととなる課題は、一人一人が異なる。この一人一人の課題に社会がどこまで向き合えるかがこれからの支援の在り方を考える場合の課題となる。大切な家族を失った人々、住む家を失った人々、避難の過程で離散していく家族、助け合いながら暮らしてきたコミュニティの崩壊、孤立化する老人、すべてが現代社会が抱えている福祉課題と重なる。
重層的支援の重要性が福祉現場で課題となっている。核家族社会の中で、父親が亡くなると母子家庭、子どもを連れて親と同居すると近い将来の80・50予備軍に、障がい者を抱えると貧困家庭に、縦割りで整備されてきた福祉制度を複数重ねて支援していかなければ一家族を救えない。この重層的支援のモデルの一つに富山方式というものがある。子ども・老人・障がい者が寄り添い助け合って生活する場を共に作っている。人間社会として当たり前と思えることが、当たり前にはできず福祉制度においては重層的支援となる。厳しい自然環境の中で人間関係を大切にコミュニティを維持してきた能登地方、これからの復興が新たな共生社会のモデルとして展開されていくことを願う。