フランスでは、パリパラリンピックの熱戦が繰り広げられている。『第17回夏期パラリンピック・パリ大会』というのが正式な大会名のようである。8月28日に開幕し9月8日までの12日間行われる。大会のスローガンには、「共生社会」の実現や多様性の尊重が掲げられている。障がい者支援を目的に活動してきたシャロームにとっても趣旨が重なりうれしい限りである。「共生社会」の実現を切に願うが、その使われ方にはかなりの幅があり、必ずしも同じ意味とは思えないほどの隔たりを感じさせる。
パラリンピックもスポーツを通して勝敗を決めるものであると思えば競争の世界である。これが、なぜ共生社会につながるのか?自問自答してみる。
私たちシャロームでは、2011.3.11の震災と原発事故の教訓から、「命」を守り合い、「命」を未来につないでいくことの大切さを実感し、そこに生活原理における共生原理の重要性を再確認することとなった。そこを起点に「共生社会」を目指す活動を続けている。私たちが日常生活の中で何気なく判断している基本には生活原理があり、それは「共生原理」と「競争原理」に大きく2つに大別される。思いやり、助け合い、支え合う、みんなの利益が優先する生活判断を「共生原理」、自己責任、すべてに自分の利益追求が優先する「競争原理」、これが日常生活の中でバランス良く共存していることが好ましい。共生社会では、共生原理が上位の生活原理となり、競争原理はその内部に包摂される関係とならなければならない。
パラリンピックの競技は、共生原理による周囲の理解と支えがなければ何一つ成り立たない。共生原理が上位となる生活原理の中では、競争原理は相互を切磋琢磨する社会を作り、相互の違いを認め合える社会へとつながっていく。共生社会への取り組みのシンボル的な動きの一つにパラリンピックを見ることができるのではないか。
共生原理がはたらかない競争社会は、競争原理至上主義へと陥り、相手を排除し潰し合う社会へと突き進んでいく。世界は、国家間の対立、紛争を激化させている。世界がパラリンピックをきっかけとして「共生社会」への理解が深められていくことを願う。