3.11から5年が経つ。5年を記念?祈念?しさまざまなイベントが行われている。新聞には連日特集が組まれている。5年の経過の中で、地震・津波と原発事故の災害としての共通項と相違点を改めて考えてみたい。

地震・津波の巨大災害は、人命を奪いまちを破壊した。それは、一瞬の出来事であった。その破壊の爪跡は凄まじいものであったが、5年という時間の中で、人々は立ち直り新たなまちを再建しつつある、しかし、失われた「命」は帰らない。残された人々は、「命」と向き合い新たな生き方を求めた社会づくりを始めている。まちの景観は整備されていくが、そこには、生きる一人一人にさまざまな傷跡を残している。社会的ケアを求める人々の声に耳を傾けていかなければならない。

原発事故は、災害がまだ収束していない。放射能汚染地域は5年間の半減期を過ぎ縮小してきている。除染により、汚染地域の多くは生活の場の安全が確保され、一部の地域を除くと日々の生活は、以前のように戻っている。しかし、避難解除区域の拡大と支援の縮小は、避難区域となった地域の人々と避難生活を選択した人々には、戻るのも留まるのも厳しい選択が迫られている。汚染地域が縮小し、農産物等の安全は確認されて来ているが、それらの情報が正確に伝わらず、汚染地域のイメージは消えず地域の差別化が続いている。被災地への地理感と外部の人間の物理的な距離は比例している。日本国内でさえ福島の位置を正確にわかる人は東北を離れると意外と少ない。「ふくしま」は福島県であり被災地=汚染地域=危険という構図から生じる風評被害、外国からは、ふくしま=日本となる。人的な交流とともに正確な情報を伝えていくことが求められる。

原発事故の収束には数十年単位の時間を要する。それはチェリノブイリの事故でもそれは明らかであり、そのような原子力発電に依存しない脱原発社会を目指すことこそ福島からの教訓から学ぶことである。事故による汚染地域での取組みを検証し、生活の安全を回復するための食品の全品検査や環境測定手法を全国に波及させていくことは、原発再稼動や停止している原発での放射能廃棄物の管理に向けて、周辺住民からの安全管理手法として有効なものであり、原発リスクに関する原価コストを明確にすることでもある。

放射能汚染へのリスクは、世界的なものとなっている。風に乗り、雨になり、水の流れとともに移動する。国境もなく、人類共通のリスクとなっている。すべての人が被害を受ける当事者としての視点から安全対策を組み立てていくことが求めらられている。