春本番の季節を迎えた。吾妻山からは、日に日に残雪が消えていく。種まきウサギがくっきりと浮かび出てくる。春の日差しと共に農作業が始まる。先人の知恵は、生活を取り巻く大自然の中に、さまざまなメッセージを感じ取り生きてきた。生活が自然と共生し営まれていたのどかな農村の原風景を思う。
「大間原発の原発差し止め訴訟を函館市が自冶体として始めて行った。」というニュースが新聞の一面を飾った。「各地で原発再稼動が現実味を増す中、立地自冶体と異なり再稼動是非の決定に参加できない。」ことから決断したと理由が書かれている。大間原発は、青森県の最北端にあり、津軽海峡を挟んで対岸に函館市が位置する。最短で23㌔ということで、海岸に立てばすぐ対岸に見える位置である。
福島原発事故では、原発の立地自冶体から遠く離れた地域の人々が3年を過ぎたいまも避難生活を続けている。全村非難となった飯舘村は、原発から40㌔も離れている。天候と風向きしだいで被害は拡散していく。風に行政の境はない。風の吹くまま、気の向くまま…、人の手に負えないものである。その場所で生活し続けようと人々の生活と安全を第一に考え行動することは、自治体として最も基本的なものと考えているが、これを行動に移した函館市の決断はすばらしい。全国の原発立地市町村から40㌔圏内を囲むと日本の地方都市の大半が入ってしまう。
生活を包み込み育んできたそれぞれの地域の原風景、それは次の世代に引き継いでいくことは、今を生きる私たちの使命である。一雨一雨種まきウサギは姿を変えていく。春の命の息吹が大地にあふれている。畑の隅にトカゲも顔を出す。身の安全のために、危険を感じると尻尾を切って逃げてしまう。都会の安全のために地方に危険を負わせ尻尾切りで危険を回避するということにならないように願いたいと思う。