タネが危ない

命の箱舟

今回のタイトルにあるように、「タネが危ない」と思われている方はどれくらいいるでしょうか。種なんてホームセンターや種苗会社にたくさん売っているじゃないかと思われているでしょうか。確かに“今は”あります。問題は国内で生産されている種がどれくらいあるのかということです。
例えば野菜の種子に関しては90%以上が海外の輸入に依存している状況です。昭和前半には約99%でしたが、現在では10%未満に低下しています。

さらに種子のほとんどがF1種という一代交配種であり、自家採取して再度栽培することはできないため、結果的に種を毎年購入しなければなりません。ですが、F1種の種の利点は大きさ、色、形などすべて同じ野菜が採れるということです。生産者にとっては種を作る手間や出荷する手間が楽になり、消費者にとっては見た目が同じで形や色つやが同じであれば、選ぶ必要がなくなり買いやすくなります。

しかし、私たちはこのように楽をした時に気を付けなければいけないことがあると思います。
大東亜戦争以降80年もの間、日本には戦争が起きていませんが、内側からの侵略が着々と進められています。有事の際に起きるのは輸入のストップです。石油、食料、種、肥料、これらは特に危惧されます。有事というとほかにエボラ出血熱の研究を都心で行う計画が進行しています。
ウイルスの漏えいやバイオテロが起きてしまったらどうなるでしょうか。また戦争に巻き込まれたらどうなるのでしょうか。

日本は豊かになったのになぜ病気が多いのでしょうか。遺伝子組み換え小麦は除草剤耐性があり、一斉に収穫するため除草剤をまきます。除草剤には「グリホサート」という成分があり、“発がん性”が指摘されています。アメリカは、旧モンサント社の除草剤の発がん性をめぐり、多くの訴訟が起こされました。旧モンサント社は2020年に約1兆円規模の和解金で多くの訴訟を解決しましたが、一部の裁判はその後も続き、複雑な状況となっています。インターネットで検索すると「安全が確認されています」が決まり文句になっていますが、本当なのでしょうか。
ラットによる健康調査は90日とされ、これは人間に換算すると10年もの期間に相当するそうです。その後はどうなるのか気になるところですが、ラマッツィーニ研究所の約120日のグリホサート長期試験では、無毒性量に相当する低用量でも影響が確認されています。

具体的には、白血病、皮膚腫瘍、肝細胞がん、内分泌系への影響、生殖発達パラメータの変化、腸内マイクロバイオームの多様性と組成の変化、ラットの複数世代にわたって生殖器系や腎臓病、肥満を引き起こすことが示唆されています。

つまり、10年未満は健康に影響はありませんが、それ以降は危険性があるということになります。これが遺伝子組み換え作物の実情です。
また、「ゲノム編集作物」というものが開発され、すでに解禁されています。これは届け出のみで出まわるようになっていますから、安全性はもちろんですが、その種が自然界の天然種と混ざってしまう意図しない拡散リスクも起こります。密かにゲノム編集食品が流通する日がすでにきています。

植物の命の箱舟(種)の破壊は関連する土、微生物、虫、水の破壊につながり、人類はとうたされてしまうのではないでしょうか。少なくとも後世がどんな作物なのか選べるような仕組みづくりをしなければならないと思います。

戦争が化学肥料・農薬・塩化ビニルをもたらした

戦争が終わり、平和になって一番余るのは、戦争の時に使った爆弾です。爆弾を作っていた企業、化学会社は爆弾材料を別のものに転用する必要がありました。戦後は電力不足で化学肥料が作れなくなり、外国で余った窒素を大量に輸入して肥料にし、食糧増産をはかりました。

同時に海外から復員兵が持ち込んだシラミ防除のため、DDTが日本に上陸しました。爆弾とともに余ったのが毒ガス兵器でした。この毒ガスが農薬に変わりました。戦後、DDTやBHC、パラチオンなどの農薬が外国から入ってきて、大量に使用されました。アメリカは世界中に窒素肥料を送り、農業を復興させようとしましたが、東南アジアは肥料が無くても肥沃(ひよく)な土地のため、窒素肥料や化学肥料などは要りませんでした。そこで、いくら肥料をやっても伸びず、収量だけが増えるように品種改良が進んでいき、これが「緑の革命」といわれる農業改革事業につながっていきました。

窒素肥料を与えると虫が集まります。そこでさらに農薬が必要になるという悪循環がおきました。

また戦後になって、石油化学産業が発達し、塩化ビニルが国産化され、ビニールハウスによって周年栽培ができるようになりました。この化学肥料・農薬・塩化ビニルが三本柱となって、それに適応した改良品種、F1種が育成されていきました。

「F1種」誕生の歴史

F1品種は大正時代から存在していましたが、戦後まであまり普及していませんでした。自給菜園と自家採取の時代には、F1のタネは高いだけで特に味が良いわけでもなく、ごくわせで玉ぞろいが良いというだけでは、栽培して食べてみたいとまで誰も思わなかったようです。

農協の融資でビニールハウスが建ち、化学肥料と農薬が使用される戦後になって、見栄えの良いF1は急速に農村に受け入れられ、産地を形成していきました。

1964年の東京オリンピックを契機に地方から東京などの大都市に人が集められ労働力となり、高度経済成長期となりました。

地方では労働力が減り、都市部で膨れ上がった人口の食料をまかなうため、百姓の農地を集約、機械化し「モノカルチャー農業」に変わっていきました。百姓は百の作物をつくるから百姓と呼ばれたはずでしたが、単一作物を作る農業に変わっていきました。

単一の作物を都会に提供する農家は、価格が暴落して経営が悪化しても、作物を廃棄して生産調整に協力すれば補助金を出すという、指定産地制度によって日本中の農業がモノカルチャーになり、周年栽培できるF1が台頭しました。それまで自分でタネ採りしていた農家がタネを買う時代になりました。これがF1誕生の歴史になります。

おわりに

F1の種でもその種をまけば形質はバラバラになりますが、野菜はできます。しかし、最近では雄性不稔(ゆうせいふねん)の花粉のない異常な花が咲く野菜が作られており、種苗会社にある古い種が無くなれば、すべて種のできない野菜となってしまいます。
必ず種を買わなければいけない時代となり、そうなれば品種が独占され、どんなに値段が高くても海外から種を買わざるをえなくなります。日本の食が崩壊しないように、固定種や在来種の種を国策で守るべき時ではないでしょうか。