12月を迎え、吾妻山もすっかり雪化粧を終え、日に日に寒さとともにカレンダーの残りも僅かとなっていく。時間は確実に進み、すべては変化していく。今年一年間で福島の状況も変わってきた。原発事故から5年目となった今年は、九州の川内原発が再稼動し、全国に再稼動の動きが活発化してきた。福島の原発事故は過去の記憶へと後退していく。時間の経過は、事件を冷静に分析検討する時間を与えてくれる。しかし、原因の分析を表面的な事象に対する対処療法のみで解決したものとされるとその事件の教訓は生かされない。

避難住民の帰還が政治日程のなかで決定され進められている。住民のこれからの生活再建、一人一人状況が異なることを考えると、一人一人生活再建に求められる質も異なる。5年間の時間は、長くそして短い。今がすべての前提で生きている子どもたちにとっては、5年間の環境が日常化し、大人にとっては、帰還は戻ることと考えるが、子どもにとっては新たな土地への移住を意味する。避難時に60代の人たちは確実に老人の仲間入りの年齢を迎える。継続することで続けられてきた農作業も5年間のブランクはそれを不可能にする。何の目的もなく生かされた5年間は、人間を廃人にする。若い世代は、新たな職場で新たな生活を築き落ち着いた生活に戻っている。住民の生活再建、それは、「そこには住み続ける土地があり、家族があり、生産活動とともに生活する営みがある。」それが壊されたことを前提に新たに形で作り直していく作業である。

人は寄り添いながら助け合い補い合って生きている。不安を理解し解決してくれる支援者がいれば安心して生きられる。復興とともに「自立」を求める論調が多くなる。しかし、現代社会で「自立」して1人で生きている人間は1人もいない。おにぎり1個さえ多くの人の手を借りなければ、わたしたちは口にするもできない。助け合い、分業化の中で生かされている。「共生」していることを考え、すべてが「共生」できる社会を作っていかなければならない。