2011.3.11から10年の月日が流れた。地方紙の福島民報、福島民友は震災10年の特集記事を掲載し続けている。当時は明らかにされなかった事実も、当時直接判断に加わっていた当事者からの証言で明らかになっていることも多く興味深い。新聞社の持つ情報量には改めて感心させられる。これらをまとめ記録として残すことが、これからの未来への警鐘として大きな意味を持つものと思われる。

ふくしまの3.11は、東日本大震災による地震と津波、そして3.14の水素爆発に始まる原発事故の三重の複合災害であった。地震と津波は、自然災害であり、災害の収束とともに復旧作業が繰り広げられてきた。南三陸などの復旧・復興は、港町を新たな姿に変えてしまっている。しかし、原発事故は、国策により推進されてきた原子力政策がもたらした人災で、まだ爆発した廃炉の処理ができないまま、厖大なタンク群を作り出しながら今も続いている。事故は今も終わっていない。

「東京電力は28日、福島第1原発3号機使用済み核燃料プールに残っていた燃料の取り出しが完了したと発表した。炉心溶融(メルトダウン)を起こした1~3号機では初めて。」(福島民報3月1日朝刊)10年目にして爆発現場の処理は始まったばかりと言える。溶け落ちた核燃料の取り出しについては、まだ方法も定まらない。

2月13日には、福島県沖で震度6強の地震が発生した。3.11の余震だという。深夜の地震で、揺れが激しく立つこともできない、揺れが収まると停電、懐中電灯で被害状況を確認する。食器棚はドアが開きものは散乱、本棚は本が飛び出し足の踏み場もない。2時間ぐらいで電気は復旧し一安心。3.11の記憶が蘇る。

東電は、25日処理水を入れたタンク53基がずれていたと発表した。地震当日は、地震計も作動していなかったということである。初期のタンクは10年を迎える。本当に安全は保たれているのか。冷却が止まれば再び放射性物質の放出も、タンクが破損すれば汚染水は海に流出する。危険な綱渡り的緊張の中で10年目の春を迎えている。