6月12日に葛尾村の帰還困難区域(帰還困難区域のうちの特定復興再生拠点区域(復興拠点))の避難指示解除が復興拠点では初めて行われることとなった。岸田総理も来県されるということである。これにより帰還困難区域への住民帰還が可能となる。しかし、解除されたのは、復興拠点として整備された0.95㎢、村のほんの一部にすぎない。政治的判断としての避難指示解除と住民の帰還がどのように進むかということは別問題である。

10年以上放置された場所に戻ると言うことは、大変なことである。働き盛りの人々の多くは、新しい職場で10年が過ぎ、それを捨ててまでは戻れない。70代以降の老人は、便利で病院等にも近い都市部での生活を捨てて、10年放置された我が家に戻れるのか。当時の小学生も大学生、10年という時間は、避難者すべてが新たな生活環境への同化を余儀なくされ、それが新たな日常となっている。そこには、すべてが10年前には戻れない現実がある。

避難者と難民とではその意味が全く異なる。避難とは、生活の場に危険が迫っているため、戻ることを前提に一時的に安全な場所に避難することである。ところが、難民とは、生活の場を失い、新たな生活の場を求めてさすらう民である。帰還困難区域の住民は10年という時間を経て帰還できることとなったというが、これを避難民であると言えるのだろうか、難民という方が現実の状況の中では適切ではなかろうか。原発事故はまだまだ収束していない現実が見え隠れする。

世界は、ロシアとウクライナの戦争の早期停戦を願うが、ロシア軍のウクライナ侵攻により、ウクライナの国内は戦場と化し、ウクライナ人が難民として世界各地に散らばっていく。難民は、生活の場を失い、命を守るという一点のために戦場を逃げ惑う。

為政者の政治的判断は、国民を幸せにもするが、時として不条理な悲劇を強要する。世界的緊張関係の中で、エネルギー政策は原発の廃炉目標を撤回し、原発再稼働への動きを加速させている。

国民の生活の場を守り、命を守ることこそが世界の為政者の共通の政治目標であることを願うが、政治的選択は歴史的教訓を忘れさせ風化させていく。