今年も3.11がやってきた。2011.3.11東日本大震災・原発事故から14年の月日が流れの中で、事故当時の状況とは大きく変わっている。当時は、世界中が原発の危険性を感じ、廃炉への動きに進むかに見えたが、2月18日のエネルギー基本計画において、原発推進に再び政策転換することを明確にしている。東日本大震災・原子力災害伝承館など以外には、災害の痕跡をまちの中で見ることはほとんどなくなっている。

東電の旧経営陣に対して行われていた福島第一原発事故への刑事責任を問う裁判は、業務上過失致死傷罪での強制起訴が3月4日の最高裁第2小法廷において上告を棄却することで全員の無罪が確定し結審した。事故から最高裁の結審まで、14年の歳月をかけながらも、国・東電への責任は問われないまま、「予見可能性なし」として終わった。国の原子力政策の中で作られた原子力発電所、それを現場で担った東京電力、そこで起きた自然災害に伴う2次災害としての原発事故、2次災害は、人災であり、事前の対策により災害を最小限に抑えることが出来る。世界的な廃炉の動きこそ、そのための最大の対策となるはずが…。

地震では、南海トラフ巨大地震が差し迫った課題となっている。政府が求める事前避難の対象だけで67万人を超える(朝日新聞3月9日朝刊)。東日本大震災・原発事故での47万人を上回る避難者の数である。事前避難の重要性が指摘されながらも、避難所が足りるかどうかの問いに関係自冶体の半数以上が足りない等と答えている。災害は常に想定外の人知を超えた災害をもたらす。一人一人が災害への意識を持ち、助け合うことが災害時の「命」を守る。それを現場で支えるのが市町村であり、この市町村に寄り添う形で国の支援がある。

住民とその生活の場である市町村との連携・協力、地域に併せた防災訓練と防災計画が事前に行われていくことで災害を小さくすることができる。

国連で核兵器禁止条約第3回締約会議が7日閉幕した。この中で「核抑止論を拒絶し、人類生存には核廃絶しか道はない 」とする政治宣言を採択した。日本は日本被団協がノーベル平和賞を受けながら不参加となった。アメリカの核の傘による核抑止力と原発推進への政策転換、世界は未来への岐路に立たされている。