新型コロナウイルスに世界が翻弄され半年が過ぎた。日差しはもう夏である。田植えの終わった田んぼには、カエルの合唱が鳴り響く。身近にあるのどかな田園風景、今年もいつの間にか繰り返されている日常、当たり前と思っていることの大切さを思い返すには十分すぎる時間となった。
私たちは、身近に実体が解らないままに起きている事実を強調しながら伝えられると、恐怖と不安に陥っていく。どこにあるか解らないウイルス、人から人へと感染する、感染すると命が危ない、感染すると感染者として監禁され厳重な監視下に置かれる、自分も感染者にいつなるか解らない・・・。不安の連鎖が瞬く間に共有され、不安が社会に蔓延する。
人は勝手なもので、自分だけは感染者になりたくない、感染者は監禁して世の中に出すな、誰が感染者か解らないので危険性を拡大する場所やものは排除せよ、・・・。過剰な不安と自己防衛意識の高まりは、社会的な攻撃目標を定めると排除のための攻撃に向かう。
6ヶ月を過ぎ、さまざまな評価と実体に合わせた対策も具体化しつつある。「強制力のない『自粛要請』を繰り返したコロナ対策は、日本人の同調圧力を利用した側面があると指摘される。ただ、首相や知事らがメッセージの伝え方を誤ると、相互監視の社会につながる危険性も浮き彫りになった。」「政府、『同調圧力』利用か」という見出しとともに書かれた新聞記事が目に入る。国民の不安を増幅させながら、それを利用誘導することを意識しながらコロナ対策を組み立てていたということにもなる。
去年はインフルエンザにかかり、一週間の隔離生活を体験した。今年は、コロナ対策の徹底の成果か、インフルエンザの感染がほとんど見られなかったといわれる。手洗い、マスクの着用はインフルエンザ対策特別措置法に定められた感染症対策の基本であることからすれば当然の成果と言えなくもない。新型のコロナウイルスとは、インフルエンザウイルスと同類の感染症を引き起こすウイルスの一つであることは、始めから政府は承知しており、直ちに専門家会議を立ち上げている。なぜか、この感染症への知識が始めに伝えられない。不安だけが強調されパンデミックを引き起こしている。政府は、正しく恐れ、冷静な対応をできるような世論誘導を意識してもらいたいと願う。